岩手木炭の歴史
平安時代(平泉文化)
岩手県の木炭生産の歴史は古く、平泉文化(1100年前後)の頃からと言われており、平泉遺跡群発掘調査では、12世紀前半の陶器窯の後から、陶器を焼く際に炭が熱源として使われていたことが報告されています。
明 治
明治初期は製鉄が盛んな東北地方の工業用炭としての需要が大半でしたが、明治24年に東北本線が盛岡まで全線開通したのをきっかけに、東京へ一般燃料としての出荷を伸ばしました。
大 正
大正元年には岩手県が「木炭生産量日本一」としての地位を確立しました。
昭 和
岩手県木炭協会の主導により、製炭窯の開発研究を行い、岩手窯・岩手大量窯を開発させ良質かつ安定した品質の木炭生産が可能となりました。
木炭研究の第一人者である岸本定吉林学博士の書籍によると「『木炭の岩手』」と言われるくらいの品質の良い木炭が大量に製炭されている。昭和32年には173,246tの木炭を焼いた記録がある。(中略)岩手県木炭協会は検査機関、技術指導体制、その販売に至るまで完備した団体で、岩手県の木炭の品質改良に大きな功績を残している。この強固な団結、統率力が個人生産、へき地のバラバラ生産をよく取りまとめ、今日の『岩手の木炭』の名声を得るにいたった。」とその品質の高さが紹介されています。(引用書籍:岸本定吉「炭」1998年初版発行)
また、終戦後から開催されていた全国木炭品評会では、団体優勝をはじめ常に上位入賞を果たしてきました。
平 成
平成2年に岩手県単独での木炭品評会を再開し、平成18年度からは出品点数100点以上を全国で唯一満たしている木炭品評会として、農林水産省と公益財団法人日本農林漁業振興会が開催している農林水産祭へ参加しており、現在まで毎年、農林水産大臣賞及び林野庁長官賞を授与されています。